【疑問点】
光の混色、色の混色はなぜ混色された色が異なるのか。異ならないはずではないか。

【論旨】
・光の三原色の説明では、赤・緑・青を三原色として、赤+緑=黄、緑+青=シアン、青+赤=紫、赤+緑+青=白、となっている。(加法混色)
・色の三原色の説明では、赤紫・黄・青を三原色として、赤紫+黄=赤、黄+青=緑、青+赤紫=紫、赤紫+黄+青=黒、となっている。(減法混色)

そもそも組み合わされている原色の色合いが等しくないのでややこしいが、要するに、光の混色では、原色を混ぜ合わせていくと色が白に近づいていく(明度が増す)が、色の混色では逆に黒に近づく。(明度が減る)

しかしどうもおかしいと感じる。

「ある色が目に見える」とは、一体どういうことなのか。

色が見えるためには、光が網膜に届かないとならない。届いた光の波長に応じた色を脳が感じるのだ。青いライトの光を見て「青い」と感じるのも、青い色で塗られた絵をみて「青い」と感じるのも、青の波長の光が網膜に届いたという点では等しい。

(A)今、同じ照度の赤色光、緑色光、青色光を光源からスクリーンの同一地点に照射し、スクリーン上に白色光を観測したとする。この場合観察者が白色光を観測するまでの流れはこうなる。

1.赤色光源から赤色光、緑色光源から緑色光、青色光源から青色光の、それぞれの波長をもつ光子がスクリーンに向けて飛び出す。
2.各波長の光子が多数、スクリーンに衝突し、反射する。
3.反射した各波長の光子が、ほぼ同時に観測者の網膜に到達する。
4.網膜上が受けた各波長の光子の合成結果として、「白っぽい色」と脳が認識する。

(B)次に、同じ分量ずつ赤色、緑色、青色の絵の具を混ぜて紙に塗り、十分な環境光のもとで観測したとき、観察者が紙の上にみえる色を観測するまでの流れはこうなる。

1.紙の上に存在する、赤色、緑色、青色の絵の具の粒子に環境光が到達する。
2.赤色粒子から赤色光、緑色粒子から緑色光、青色粒子から青色光の波長をもつ光が反射する。
3.反射した各波長の光子が、ほぼ同時に観測者の網膜に到達する。
4.網膜上が受けた各波長の光子の合成結果として、「黒っぽい色」と脳が認識する。

この場合絵の具の粒子が紙の上に並んでいるさまを表現したが、わかりにくければ、同じ明度かつ同じ直径で、紙の上に非常に細かく隙間無く点描された…と考えてもよろしかろう。

さて、いずれにしても(A)、(B)を比較してどうだろうか。同じ波長の光子が、同じ割合ずつ、観測者の網膜に到達してはいないだろうか。

ではなぜ、にも関わらず、光の場合は白っぽい色に見え、絵の具の場合は黒っぽい色にみえるのか。他の色同士の組み合わせの場合も、なぜ、光の混色と色の混色では結果が異なるのか。

まったくもって不可解だ。幼いころからずっと疑問に思い続けている。本件納得のいく解が見出せずにいる。

[コメントの受付は終了しています ]
1: りん (06/21 21:49)
2.赤色粒子から赤色光、緑色粒子から緑色光、青色粒子から青色光の波長をもつ光が反射する。

これが間違い。赤インクは「赤い色を出す」のではなく「赤以外の色を吸収」します。
同じ事を言ってるようですが、実は全然違う事に注意。
絵の具をいっぱい混ぜると、あらゆる色が吸収されて、結果として黒になっちゃいます。
(点描された場合も常に減法であると言う意味において一緒)
2: りん (06/22 16:17)
すまん、ちょっと修正。
点描の場合は、モニターも紙も同じになりますね。例えば赤と黄色のタイリングは肌色になる。
昔の、8色や16色時代のタイルペイントで描かれた絵をプリントアウトしても、色は変わったりしないし。

「加法」とか「減法」というのは、あくまで「光を重ねた時」「絵の具を混ぜた時」の事。
3: 冬星 (06/23 08:25)
解説ありがとうございます。むむぅ、色の方は吸収なのですか。
で、すみません…わかりそうで、わかりませんでした。orz
点描(赤と黄色のタイリングの例など)だとなぜOKなんでしょう。もし点描がOKなら、混色した赤と黄色の絵の具も、顕微鏡で拡大してみたら赤絵の具の粒子と黄絵の具の粒子が隙間なく(まだらに)敷き詰められた点描状態です。サイズの違いはありますが本質的に同じなわけで…。
4: りん (06/23 19:30)
粒子一個分の厚みで均一に塗られたら点描と同じになるだろうけど、実際は絵の具は縦方向にも重なるので。
5: 冬星 (06/23 21:44)
なるほど…厚みですか。重なり合って薄い層で混ざりあう色粒子に吸収されると…。
目から鱗です!積年の謎がスッキリしました。やっとコレ明快に答えてくれた方に出会えたました。うぉぉ嬉しいっっっ、ありがとうございます。(涙

【疑問点】
物理で、「同じ高さから質量の違う2物体を自由落下させると、同じ時間で地表に到達する。ただし、空気による摩擦は考えない。」とされているが正しいだろうか。

【私の解】
正しくない。

上記を基礎にして、以下の公式がよく使われる:

ある物体の移動距離をl、初速をv0、経過した時間をt、加速度をaとすると、
l=v0・t+1/2×a・t2

さらに、自由落下で重力加速度gとすると、
l=1/2×g・t2

上記公式を用いて、物体の質量に関わらず、移動距離と重力加速度から、落下に要する時間が求められる。

…これが前提である。

これが成り立つということは、即ち「重力加速度gに反比例して物体が距離lを落下する時間は短くなる。」わけである。

公式から、地球の重力加速度を1gとし、巨大惑星Zの重力加速度を100gとすると、惑星Zでは地球と同じ条件で同じ物体が10倍早く地表に到達することになる。

問題はここにある。

いま地球上にある物体Aで考えると、(物体A)と(地球)という2物体の関係において、物体Aの落下運動がなぜ起こるか。これは周知の通り重力による。質量を持つ2物体は互いの重力により引き合う。いわゆる万有引力の法則の結果が、自由落下である。

既にお判りと思うが、物体の重力ひいては重力加速度は物体の質量に比例するのであるから、先ほどの落下運動において、落下する物体や地球の質量に比例してそれらの重力も増す。また、自由落下とは、2物体が互いに重力により引き合う運動であること、そして上記の公式により落下運動における落下に要する時間が重力加速度に反比例することから、物体が落下に要する時間、即ち物体と地球が互いに引き合う運動により位置が重なるまでに要する時間は、互いの物体の質量に反比例することになる。

とすると当然だが、落下運動の公式自体が正確でない、ということになる。なにしろ公式では、落下される側(=地球)の重力については考慮されているが、落下する側(=物体B)の重力の影響について一顧だにされていないからだ。

なぜ双方の物体の重力が考慮されていないのかは常識的に考えると、地球に対して物体Bが非常に小さいため、その影響が非常に⊿(微小)となるからだろう。

しかし、上の解説により正しくは「同じ高さから質量の違う2物体を自由落下させると、落下に要する時間は2物体の質量に反比例する。ただし、空気による摩擦は考えない。」が正解となるはずだ。影響が小さいからといって、実際は反比例関係をもつ運動であるのに関わらずその関係が無いと言った時点で、物理法則の歪曲あるいは捏造と言えるのではなかろうか。

[コメントの受付は終了しています ]
1: ヘンゼルの記憶 (06/23 09:05)
こういった話になるとそもそも運動する物体の重力をニュートンの万有引力の法則で解こうとするのは間違いで、アインシュタインの一般相対性理論の出番になるのではないかと(^^;
ただしそれを持ち出した結果どうなるかはヘンゼルには判りません(笑)
2: 冬星 (06/23 21:58)
すごい、相対性理論って、こういうのが解けるのですか。やってみたい…けどヘンゼルさんのコメントの最後の1行がこわい。(^-^;
物理は高1で学んだんですがニュートン力学しか出てきませんで、このへんの疑問が相次いで物理は異界の生物になって…。
力学で、互いに影響しあう(運動する)2物体を同時に考慮しようとすると混乱してしまいます。
上の式だと単純に双方個別につくって(ちゃんと地球の側の運動も求めて)あとで合成して考えればよさそうですが…。
3: ヘンゼルの記憶 (07/01 08:28)
いあ、ヘンゼル間違っても相対性理論なんてわかりません(笑)
で、実は生の相対性理論も古典物理学に分類されます。
だからエネルギーなり質量なり(って一緒かも)が大きいときにだいたい成り立つに過ぎない、はずです。
さらに先へ進むとたぶん相対論的量子力学とかなんとかって話になるんでしょうけど…こちらはまだ理論自体どこまで完成しているのか微妙、だったはず。