業務から帰宅してから、メビウスノートで観ました。(画面は NANAO ですが。)
いやぁ、いいっすねぇ。(笑)
今日感じたのは、音楽性についてです。この作品バイオリンのソロとピアノがよく出てきます。サユリがバイオリンを弾いていたこと、一途なヒロキが彼女を想って独りで練習していたことなど、ストーリー上のキーになっているバイオリンのソロ曲のバリエーションが多いんですが、ピアノもソロが多いです。聞いていてなんとなく、予算と音楽制作力のない量産型ノベルゲームのBGMを彷彿としてしまった…というのはおいといて(笑)、作品としては、話のもつ雰囲気をよく考慮して、統一性のある、よい制作をしておられるなぁと感じました。そのへんの統一性への配慮は、感情表現を音で表す部分でも、弦楽器やピアノのソロ奏法で、人物の心理的ショックなどをシンプルかつ効果的に表現しているあたりにも感じました。
この「映像作品に流される音楽の、作品に対する統一性」は、昨今のアニメーション作品においては目も当てられない状況だと思います。たとえば極端な話、TVシリーズでは、作品のストーリー性にジャストフィットしているとはとうてい思えないような、今流行のPOPS歌手の歌でも流してしまえ的やり方が一般化しているのが最悪ですが、映画作品でもなんというか、厚みはましているけれど、「本当にその作品の世界観をより深められるような曲を作曲したり、楽器を選択したり、奏法・感情表現への参加の仕方をしたりしているのか?」とふりかえって聴きなおしてみれば、なんとも不恰好というか不釣合いというか、凸凹な感じがしてしまうような気がしませんか?
もともと日本人の音楽に対するセンスは、やぼったい気がします。巷で量産されているPOPS、BGMのうすっぺらいこと!…構成的に何ら目新しくもなく、歌唱法としても、きざったらしいクセがなんとなく味があれば「俺もいっぱしのPOPSシンガー」…みたいな。
そのへん、「雲のむこう…」でも確かに、シンプルなクラシック調…というそれ自体は、音楽センス的には「やぼったい」と言われてもいたしかたないでしょう。でも、ヒロキやタクヤ、サユリという青森のいなかの初々しい中学生(&高校生)の心象世界、その作品性とジャストフィットしているので正しいわけで、それを狙ってやっているのだからプロの仕事です。逆説的になってしまいますが、だからこそ、昨今の他の商業映像作品やノベル作品の音楽のでたらめさが際立ったというか…。(涙)
あと、音そのものをどうやって作るのかということも、派生して心に浮かびました。ノベルゲーム類は当然ですが、最近映像作品もわりとMIDI音源などシンセで曲がつくられたりします。予算がないとか、その曲が電子音で表現したい性質の曲ならばしょうがないんですが、なんでもかんでもシンセ音源で間に合わせてしまうのはどうかと思います。シンセの四重奏とかオーケストラを聴いてるとなんだか胸やけがしてきます。生きた演奏じゃないというか、いろんな要素が欠けているからか「のっぺり」した「うすい」感じ、コンクリートで固められたような印象が起きます…。
音源だけで曲づくりするなら、楽器ごとの演奏時の発音と奏法の特徴をシミュレートしたり、楽譜に対する演奏者ごとのクセを反映させたり、ピッチや奏法にある程度の幅のゆらぎ(ズレ)をシミュレートしたり、空間内に配置された各楽器の位置と向き固有の反響音をシミュレートしたり、指揮者を設定して指揮者特有のクセをシミュレートしたりできれば、ある程度マシになるかも知れないと思います。技術的には可能かと思うんですが、そういった処理をコントロールできる統合制作環境ってあるんでしょうか??
…ただ、あまりややこしいことをするぐらいなら、生楽器で表現するタイプの曲は、素直に生演奏で、それにくわえて作品にあうような曲の割り当てと演出をかけてやったほうがいいんではないかと思います。