ノベルゲームに未来はあるか 2006-02-25 (土) 18:29:11+09:00

日記

毎日のように大量生産されているノベルゲームの少なからぬ割合のものが:

主人公の両親は、海外赴任中/死別/旅行中。
主人公は、幼馴染のいる田舎の町/村へと一人で戻ってくる。
…と、このような設定になっている。特に前者(主人公には両親がいない状態)は異常に多い。駄作はまだしも、知名度の高い大手の作品、すごいと言われる名作までもが、誰も彼もみんな右へ倣え。この設定なのだ。

映画やTVドラマ、漫画などの他のメディアで、このような設定の偏りが許されるだろうか。あの映画もこの映画も主人公の両親は海外赴任中で、この漫画もあの漫画も、主人公は幼馴染のいる故郷の町に一人で戻ってきたところから話が始まる…バカみたいである。

そんなもんを出すのに1年2年、下手すると3年以上発売延期を繰り返すところもある。こんな状態ではノベルゲームそのものが遠からず廃れるだろう。むしろ既に飽き飽きされている状態であろう。それでも本数が減らないのはエ○が偉大なだけだ。ビデオと状況がまったく同じだ。

自分は、エ○作品を作りたいわけではないので、そういった数の上では大多数のノベルゲームには興味が無い。むしろ、たとえば Key や LEAF の一部作品など(例えがフルすぎるか?)の、はじめから全年齢を対象に楽しめることやアニメ化をターゲットとした作品を作っている領域で考えたいのだ。しかし、こういった領域でもやはり上述の現象は変らないのだ。だから嘆くのだ。他のメディアの爪の垢を飲め、と。

脚本家達は、今一度海よりも深く反省して考えなおして欲しい。ノベルゲームというメディアの構造が原因だとか、両親がいたら話を運びにくいんだ、とかなんとかぐだぐだ責任転嫁してる暇があったら、黙って成果を出そうよ。

「ノベルゲームって、両親が海外赴任か死別で、幼馴染の町へ帰る話を遊ぶためのメディアだよね。」などと揶揄されるような情けないシナリオ作りから早く脱却して欲しいものだ。